今年初めてのブログとなりました!!

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

 今年最初のブログです。昨年は、久しぶりに31日の大晦日まで営業させて頂きました。多くの方にご来店頂き、開けた甲斐がありました。心よりお礼申し上げます。

 "終わり良ければ全て良し"という諺があるように、仕上げは肝心です。心、晴れ晴れと帰宅し、例年より遅い夕食をとりながら、紅白歌合戦を観戦。昨年同様、カウントダウンに行き、その後、氏神さんに初詣に行くつもりでしたが、ゆく年くる年が終わる頃には、すでに布団にもぐっておりました。

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 年明けは、3日から営業のため、体力温存の為、殆ど外出はせずに寝正月です。ようやく先週、定休日の火曜日に初詣に出かけていきました。向ったのは、豊川さんの名で親しまれている豊川稲荷。子供の頃は、毎年、三が日のいずれかに必ず家族と出かけた馴染みのある神社なんです。商売繁盛などを願う参拝客が年間500万人が訪れ、日本の三大稲荷の1つとされている人気スポット。ただ、30年近く商売をしているのに、参拝するのは、今回が初めて。子供の頃の記憶しかないほど、本当に久しぶりなんです。

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 前文で神社と書いてしまいましたが、実は曹洞宗の寺院。正式の寺号は、妙厳寺。境内に祭られる秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」の稲穂を担いだ姿などから、一般には「豊川稲荷」の名で呼ばれるようになったと説明がありました。でもお寺なのに鳥居があるのは不思議と思いませんか。調べて見ると、1871年(明治4年)に発令された神仏分離令が原因だったようです。それまで境内の参道に立ち並んでいた鳥居は撤去され、「豊川稲荷」「豊川大明神」の呼称も使われなくなった。以降は「豊川吒枳尼真天」と号するようになる(ただし、間もなく通称として「豊川稲荷」と呼ぶことは復活する)。 なお、現在地に鳥居が立ったのは戦後であるが、この鳥居は1930年(昭和5年)に敷地内に移転・保管されていた江戸時代末期の東海道にあった鳥居である、とのことでした。

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 かつての稲荷本殿で、この堂宇が妙厳寺から分離の危機にあった奥の院。古い建物です。ところで、ここ豊川稲荷。昔から、カップルで参拝すると別れるというジンクスがあります。推測ですが、豊川稲荷の「稲荷」とは、境内の鎮守として祀られる吒枳尼天(だきにてん)。インドの古代民間信仰に由来する女神で、一般に白狐に乗る天女の姿で表されます。狐か天女の、いや両方のヤキモチからお稲荷さんの破局ジンクスが広まったのではないでしょうか。参拝しながら、思い出したことでしたが、ほっと胸をなでおろしたのは、一緒だったのが、女性ではなく、息子だったからです。

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 総門を出ると、目に入るのが、"なつかし青春商店街"こと「豊川いなり表参道」。少しの距離ですが、昭和レトロな雰囲気を楽しめます。

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 時計の針は、1時を回っています。食事をするには、ちょうど良い時間です。ここで食べるなら、やはり稲荷寿しときしめんで有名で、豊川いなり表参道に入り口角にある、創業100余年の「門前そば」。名物の「いなほ稲荷寿し」を買い求める行列の脇を抜けて店内に入ると、ちょうど席が空いていました。子供の頃、いつも三が日だった為、ずいぶん並んだものでした。やはり、少し日にちを置いてから、参拝するのがいいでしょうね。セットで1050円。参拝した後だけに特に美味しく頂きました。

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 帰り道、途中、左に舵を取ったのは、蒲郡方面。珈琲を飲むために向ったのは、蒲郡クラシックホテル。少し前までは、プリンスが経営していたホテルです。ついつい大好きなモンブランも一緒に注文しておりました。

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 どうです。女性と一緒ではないでしょ。今回の同伴者は、神社好きのジュニア。私が子供の頃、親に毎年連れて行ってもらったのに、自分の息子を連れて行くのは、今回が初めて。こんなにも大きく育ってしまってからの参拝となりました。遠方よりお越しの皆さん、参拝が未だであれば、豊川→岡崎→蒲郡と順番は別として、一つのコースとして選んでみてはいかがでしょう。

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