八ヶ岳報告 清泉寮に泊まります!!

 15年前は、通過点だった清泉寮。長年、乗っていたイギリスのローバーGSエステート。オースティン モンテゴエステートと言ったほう分かりやすいでしょうか。愛着のある車でしたが、後半トラブル続きで、遂に乗り換えることに。苦労した分、反動は大きかっ たのでしょう。乗り換えたのは、頑丈・丈夫なイメージのドイツ車。2度目ですが、新車は初めてです。速度無制限道路のアウトバーン仕込のドイツ車ともなれ ば、高速道路をかっ飛ばし、ワインディングロードを颯爽と走り抜けたいもの。そこで選んだ場所が、八ヶ岳。当時、カー雑誌などの撮影場所として知られてい た八ヶ岳高原ロッジ。清里から少し奥に入った場所にあります。秋の日差しの下、清里高原の心地よい風に吹かれながら、この時 もなぜか?一人、アイスクリームを食べた思い出が蘇ります。

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  1980~90年代、私たちの青春時代には、清里は「恋人の聖地」。"私をスキーに連れてって"同様、恋人たちの憧れの場所。なのになぜか、いつも一 人...。夏ともなれば、当時の清里駅には人が溢れ、あちこちに建てられたペンションは予約が取れないほどでした。そんな清里ブームの中心的な建物が、ここ清泉寮だったのです。

 現在、ロッジ、コテージ、レストラン、キャンプ場を有する宿泊・研修施設ですが、建設当初の1938年は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが指導した教育実験計画の一環としての日米協会青年活動による中心施設...調べてみてください。同じことが書いてあります。清里の育ての親は、代名詞であるソフトクリームもポール・ラッシュが生み出し、清泉寮の喫茶メニューにもなりました。当時、カレーライス600円の時代に250 円のソフトクリーム。乳牛として育てられた牛から取られたジャージー乳を使用したソフトクリームは、「濃厚でおいしい」と口コミで人気が広がったようで す。

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  本館のカウンターにもポール・ラッシュ博士の写真が飾ってあります。先に進むとこじんまりとしたロビーがあり、まだ出番のない暖炉とさりげなく置かれた書籍が、冬の夜の読み聞かせを連想させてくれます。通路を挟んで反対側にはミーティングルームがあり、その隅に卓球台が置いてあり、懐かしい風景を見るこ とができます。次回、来る時は冬が良さそうです。車ではなく、乗り物を乗り継いで。できることなら、一人でない方が嬉しいのですが...。そういえば、明後日の 水曜日、ジュニアが伊勢神宮に行くそうです。「誰と?」と問えば、「一人で」だそうです。血は争えませんね。

 日が沈み、更に静けさが増します。温泉に入った後は、いよいよ待望の食事。この時間だけは、一人を避けたいものです。以前、泊まった高原ロッジで、恥ずかしい思いをしたことがあります。一人で食事をしていると、手持ち無沙汰で、ついつい飲みすぎるのです。部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間、よろけて千鳥足。何事も無かったように席に戻り、酔いを覚ましましたが、見られていたとしたら恥ずかしい限りです。今回、ありがたいことに素敵な女性と一緒。美味しい地ビールにワイン...。ただ、その後は、やはり一人でした。

 

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