天下統一、そして世界へ...第4回グローリーガイ慰安旅行報告、名護屋城の巻

 お腹を満たした我ら一行が、次に向ったのは、名護屋城。ここからは歴史の知識が物を言います。本日が最終回のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」をご 覧になられている方や日本の歴史に精通されている方でしたら、説明要らずの城です。天下統一を果たした豊臣秀吉が次に目指したのが、世界。これは織田信長 の遺志を継いだことになります。まずは「高麗」つまり李氏朝鮮に、服属と明侵攻の協力を要請。ただ朝鮮は拒絶した為、ついに朝鮮出兵を決断。その際の前線基地として選ばれたのが、当時の肥前国松浦郡名護屋にあった城でした。秀吉の地元、名古屋と同じ名を持つこと、城の立つ山の名前が勝男山と縁起がいいことから築城を決めたと言われています。

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  残念ながら、現在、建物はありません。当時は、この丘陵を中心に170.000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城で、五重天守や御殿が建てられ、 周囲約3kメートル内に120ヶ所ほどの陣屋が置かれていました。その規模は、当時の城郭では大阪城に次ぐ広壮なもので、最盛期には人口10万人を超えた そうです。男のロマンをかきたてるには充分過ぎる歴史背景です。

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 早速、天守閣の高台に向います。どうやらタカイは、私の後姿がお好きなようで...。イタリア出張の際もそうでしたが、彼の撮った写真を見ていると、なぜか後姿ばかり。隣りは一年ぶりに参加してくださったO氏。イタリア出張には、必ず同行するほどの大の仲良し?です。

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 その後ろを、一人何か考えながらついて来るのは、マスヤマ。

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  いつの間にかマスヤマの姿が...。代わりに現れたのは、辻観光のT氏。いくら九州といえども、冬です。相変わらず薄着で、この時はシャツ一枚にマフラーを巻 いただけでした。この旅行を終えた週末、ホノルルマラソンに参加する彼は、まるで鉄人のようです。ところで、カメラマンのタカイは別として、ナグラさんは どうしたのでしょう。

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 いました。いつもタカイと一緒。とても仲良しです。職場が同じ二人は、家族より一緒にいる時間が長く、イタリア出張の時も朝から翌朝まで一緒でしたから、お互いをよく理解しているはず...。でも時々、叱られているナグラさんを見ますが、それも愛情表現...ですね。

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  天守閣跡から一望できる玄界灘と呼子大橋。そして遠く見やると、そこは対馬海峡があり、その先には朝鮮半島。ここから西国衆を中心に総勢15万8000の 兵が第一陣として朝鮮半島に出兵したことを思うと、錚々たる光景が浮かぶのと同時に、秀吉の権勢の凄さを改めて感じることができます。

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 ここで、また4人揃っての記念写真。白さはイカのせいではなかったタカイ。出身地が同じこともあり、雰囲気がどことなく似ているナグラさんとマスヤマ。そして、日差しが眩しいふりして、実は風による髪の乱れを気にしている私、スグルでした。

 秀吉の死後、大陸侵攻が中止され、城は壊されました。その建物は、肥前唐津藩の初代藩主、寺沢広高によって移築された唐津城。この後、私たちも向います。

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