旅の楽しみは、まだまだ続きます。

 自宅から駐車場までのわずかな道のり。途中、白い物が舞い始め、ホワイトクリスマスになるかと期待していましたが、いつの間にか止んでしまいました。今は吐く息も白くなるほど冷たい空気ですが、時折、日差しも差し込んでいます。

 一年はあっという間。特にクリスマスを過ぎれば、もう文字に書けないほどの速さで一年が終わってしまいます。急ぎ、慰安旅行の報告をさせていただきますね。

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 父です。いや兄です。すいません!若林 豪さんです。チェックアウト後、旅館との名残を惜しんで玄関前に屯していると特別なオーラを発する方が出てくるではないでしょうか。私共の隣で、ゆっくりと煙草に火をつけ、美味しそうに煙を吐く姿など、正に「Gメン」の立花警部。恐る恐る、写真いいですか?とお願いすると快く受けていただきました。

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 鹿児島市の中央部にある丘陵地「城山」は、西南戦争の最後の激戦地。圧倒的な官軍の前に、西郷どんが自刃した場所としても有名です。城山展望台からは、鹿児島市内、桜島が望めます。

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 南洲公園の中にある南洲墓地には西南の役で亡くなった2.000名余の人々が永眠しています。墓地中央にある西郷どんの墓を守るかのように篠原国幹(一番大隊 隊長)、村田新八(第二大隊 隊長)、桐野利秋(四番大隊 隊長)などの墓が並んでいます。

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 その中で、一際華やかな桐野利秋の墓。彼の通称は半次郎。池波正太郎の作品「人斬り半次郎」でも題材にしている人物です。洒落者として有名で、陸軍少将時代には金無垢の懐中時計を愛用し、軍服はフランス製のオーダーメイド、フランスの香水を付け、城山で戦死した際も遺体からは香水の香りがしていたといわれています。今でも彼のファンがバラと香水を持って墓参りに来られるそうです。

 

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 昼過ぎから書き始めたこのブログも途中何度も中断し、今は6時半。お腹の空く頃です。この記事に触れるのは正直、生唾ものです。鹿児島に来たなら、やはり黒豚。通称”黒いダイヤモンド”とも”鹿児島の至宝”とも呼ばれている県内で飼育されている純粋バークシャー種の豚肉です。豚肉にまつわる面白い話がありますので、ご紹介します。戦国時代から薩摩では豚肉を歩く野菜と呼んで食べられていました。戦国時代に九州を統一した島津氏の底力は、いち早い鉄砲の導入と豚肉を兵糧としていたことです。戦国時代では珍しい肉食集団だったんですね。

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 「味のとんかつ 丸一」さんは、いつも行列のできるとんかつ屋さんとして地元でも人気のある店です。毎食は無理として毎日食べても飽きないほど、大好物のとんかつ。入り口のメニューサンプルを見て注文をすると、実際は量が少なく、がっかりするのですが、トンでもございませんでした。皿から溢れんばかりのボリュームの多さと衣の黒さにも驚きです。サクサクの薄い衣に覆われた肉はかなり厚く、口の中に広がる肉汁の甘みがたまりません。もう一度、食べたい。これを食べに鹿児島に行きたい!大袈裟でしょうか。

 本日は、ここまでです。最終回にするつもりでしたが、もう一回だけ、お付き合いください。

 

 

 

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